CHEVAL OSAKAと僕

2021年6月27日、CHEVAL OSAKAは7年間に渡るその歴史に幕を閉じた。


リニューアルこそ噂されているものの、CHEVALの名前で営業することは泣いても笑ってもこれが最後だという。いてもたっても居られなくなり、久しぶりに足を運ぶことに決めた。




思い起こせば心斎橋にCHEVALという新しいクラブができたのはもう7年も前なのだ。当時のミナミのクラブシーンでは大箱ではまだニューコロンブスビルの8階にあったBambiや、南船場のPLATINUMが人気だったと思う。開店当初こそ人の入りはまばらであったが次第に客足は増え、客層が被るPLATINUMの閉店も後押しして瞬く間に超人気クラブとなる。オトナっぽい内装や適度に上品な選曲などから比較的高めの年齢の人が主なターゲット層であり、僕も1ユーザーとしてそのコンセプトをとても気に入っていた。


2014年はまだ勢いがあってナンパもしやすかったBambiに通うことが多かったが、2015年からは本格的にCHEVALに行くようになった。毎日のようにというと過言だが、数日おきに通った時もある。本来は自己研鑽に充てるべき貴重な20代の夜をそこでダラダラと浪費することはちょっとした背徳感もありとても楽しかった。 翌日の仕事に大きな支障を出さないためには遅くとも深夜1時過ぎくらいには退店しないといけない。フロアが盛り上がりナンパにも熱が入り始めるのがちょうどそれくらいの時間であったため、ナンパのウォーミングアップを始める友人達を尻目に毎回後ろ髪を引かれながら帰路についていたことを今となっては少し残念に思う。我々の間でどこからともなく流布されたいた『CHEVALできっちりナンパできて一丁前』といった、一丁前の基準に全く根拠のない言説もこの時期からのものであった。


2016年から2019年辺りでは本格的に僕の仕事が忙しくなり、昼夜を問わず仕事をしているような状況であったため、クラブからは少し足が遠のいてしまっていた。世間の流行の中心がビッグルームからトロピカルハウスやK-POPに変遷し、クラブシーン全体としても盛り上がりにイマイチ欠けたこと、マッチングアプリがしっかりと流行り始めたため仕事の合間にやり取りするだけでお手軽に女の子と出会うことができ、わざわざクラブでナンパしなくても良くなったことも僕のこの時期のクラブ離れの原因だった。


この時期はクラブには冷やかしでたまに通うくらいで、朝まできっちりナンパすることもほとんどなかったように思う。そんな生活を続けているうちに『仕事を言い訳にしてクラブナンパから目を背けていていいのか』と自問自答する機会が次第に増えたように感じた。時間制限や他の男性との競合、フロアの状況、女の子同士の人間関係などを的確に見定める必要のあるクラブナンパは非常にゲーム性(顔面と身長で無双できるプレーヤーもいるし、結局はそれが一番強い)に富んだ、最高級の娯楽である。その醍醐味を味わい尽くさず、極められないままでは死ねないとさえ思っていた。


この年齢の男性として本来進むべき方向とは真逆であるのだが、少しずつ仕事量を減らしクラブに通う体制づくりをしていた最中でのコロナ禍は非常に残念であった。まあこればっかりは本当に嘆いても仕方がない。せめてもの思い出作りを兼ね、僕は最後のCHEVALへと向かうこととした。




某日集まったのは2014年の開店当初から顔馴染みの面々であった。苦楽を共にしたというと大袈裟ではあるが、僕の遅い青春の1ページとしての善き思い出は彼ら抜きでは成り立たなかったし、1つの節目を彼らと共に惜しむことができるのはとても幸せだと感じた。『わしら散々CHEVALにはお世話になったやん、最後くらい顔見せに行かな』数年前の当時、サイボーグのように淡々とナンパしていた彼の思わぬ人間的な一言には驚いたが、彼も彼なりに寂しいんだなと思うと少し嬉しい気持ちにもなった。


この階段をこのメンバーで降りるのは本当に最後かもしれないと考えながら入場する。比較的浅い時間にもかかわらず、フロアは全盛期を彷彿とさせる人で溢れかえっていた。最後だから一生懸命ナンパするというのも悪くないのだが、僕は重低音の効いた音楽や煌びやかな照明、焼けるようなテキーラの味を心ゆくまで自分の記憶に刻み込むため、今回はナンパを控えることにした。DearBoy、Calling、FollowMe、BeautifulNow。全盛期のCHEVALを色鮮やかに彩った珠玉の名曲がフロアを軽やかに弾み、そして消えていく。基本的に同じ曲が何回もプレイされることはないため、一瞬一瞬が決して見逃せない大切な時間であった。途中MCがマイク越しに『昔のCHEVALみたいやー』と言っていた。昨今の社会情勢もあって凋落の一途を辿るクラブシーンを憂い、在りし日の隆盛を懐かしく感じているのは皆同じなのだろう。


SigmaのNobodyToLoveが流れたのは4時台だっただろうか。以前は閉店直前によく流れていた曲だったと思う。否が応でも終わりを意識せざるを得なかった。クラブで泣いてるやつとか頭おかしいだろと自分でも思うのだが、この辺からめちゃくちゃ泣いた。最後はSteernerのSparks、MartinGarrixのHighOnLifeだった。キラキラと輝くポップで明るい曲調のこの2曲は締め括りに相応しい、非常にCHEVALらしい選曲だったと思う。




この7年間でいいことや嬉しいこともたくさんあったし、辛いことや嫌なこともたくさん経験したが、どんな時だって友人とCHEVALに行けば楽しく過ごすことができた。長年に渡って僕に憩いと安らぎの場を提供してくれたCHEVALの存在は本当に有り難かったと心底感じている。いい歳してクラブがサードスペースってどうなんだと思う人はいるだろうが、僕の生活におけるそれは間違いなくこのCHEVAL OSAKAであったと断言できる。ここで過ごした楽しい時間とかけがえのない思い出を、僕は決して忘れない。


日によってボディチェックの丁寧さが全く違うエントランスの兄ちゃん、500円しか安くならないゲストをくれるダンサーの女の子、レディースシートの前のレーザーを超えて廊下側に身体が出てしまうとすかさず注意してくるセキュリティ、ショットの乾杯をそこら中でゴリ押ししているテキーラガール、美しい選曲とアレンジでフロアを沸かせてくれていたDJさん、そして僕と一緒にCHEVALに通ってくれた最高の友人たちに心からの感謝を。


Thank You, CHEVAL OSAKA.